*金蔵山古墳の現状

*金蔵山古墳の調査状態写真

*美作杉原古墳は弥生時代の墳丘墓

*湊茶臼山古墳の調査続く

*H22/09/20
東大寺山古墳の遺物一堂に

*H22/09/17
纏向遺跡に桃の種

*H22/3/17
造山古墳で周濠と周堤跡初確認

*H21/12/07
岡大シンポジウム

*H21/11/28
鬼ノ城鍛冶炉出土

*H21/11/11
卑弥呼の宮殿か

*H21/10/28
桜井茶臼山古墳:石室全面に赤色顔料「水銀朱」

*H21/05/29
箸墓古墳240~260年に築造

*H21/03/12
総社・宿寺山古墳葺石盛土確認

*H21/03/10
造山古墳噴石

*H21/03/01
造山古墳発掘調査スタート

*H21/01/08
昨年3月探訪奈良巣山古墳ふき石

*H20/12/19
造山古墳の発掘調査に来春着手

*H20/12/9
三石の四列穴門が県土木遺産に指定

国内最古の木製仮面? - 2世紀後半、纏向出現前/桜井・大福遺跡
                         

桜井市大福の大福遺跡から出土した遺物の中から、2世紀後半ごろの仮面状の木製品が見つかり、市教育委員会が30日に発表した。この遺物が木製仮面だとすれば、国内最古とされる同市内の纏向遺跡のものよりさらに古いという。仮面状木製品は、平成20年度の発掘調査で、大溝から大量に出土した木製品の一つ。整理や保存処理の作業を進める中、仮面の可能性が指摘された。樹種はコウヤマキで、縦23・4cm、最大幅7cm、厚さ5mm。全体の4割程度が残っているとみられる。
 纏向遺跡のカシ製の仮面(縦26cm、幅21・6cm、厚さ6mm)にある目穴と良く似た形の穴が開けられていた。直径約2.5mmの穴もあり、顔に装着するためのひも穴と考えられる。纏向例のように、農具のクワの刃を転用したかどうかは不明で、まゆ毛の線刻表現はなかった。大福遺跡と、邪馬台国の有力候補地とされる纏向遺跡の距離は約3キロ。大福の集落の衰退と纏向の出現は相前後していて、祭りの象徴が弥生時代の青銅器から古墳時代の前方後円墳へと移り変わる時期に重なる。
 市教委は「両遺跡から共通して木製仮面が出たことは、時代の転換を考える手がかりになる」と話す。
 木製仮面は農耕儀礼で使われたとされており、纏向学研究センターの寺沢薫所長は「纏向を中枢とするヤマト王権が、これまで地域ごとで行っていた農耕儀礼を一本化していったのだろう」とみる。
 仮面状木製品は31日から、桜井市芝の市立埋蔵文化財センターで展示される。9月29日まで。
(2013.6.10 読売新聞)


千足装飾古墳近況
                         

1. 直弧文が刻まれた埴輪片が出土  岡山市北区新庄下の千足古墳(5世紀前半)の発掘調査で、新たに直弧文が刻まれた埴輪片が9日までに前方部西側の試掘溝で、墳丘上から転落したとみられる多数の埴輪に交じって見つかったことがわかった。埴輪片(縦16cm、横11cm)は、「靱形埴輪」の一部。 同古墳を陪塚とする造山古墳(同所)で採集されているほか、近畿地方の大型古墳を中心に出土例がある。 石室内だけでなく、墳丘上も邪気を払う古代文様で守られていたことが分かった。現地説明会が26日((土)午後1時半から開かれる。

2. 直弧文石障を初公開  千足古墳から取り出された石障が1月28日(月)から、保存措置先の岡山市埋蔵文化財センター(同市中区網浜)で初めて一般公開される。石障(高さ53cm、幅162cm、厚さ13cm)は九州産の砂岩製で、直弧文が浮き彫りされている。 2009年10月に石材表面の劣化と直弧文の剥落が判明したため、11年12月に搬出。同センターで保存措置を行ってきた。公開は2月9日まで(同3日は休館)の午前9時〜午後4時半。 [参考;山陽新聞]




金蔵山古墳の現状
                         


写真をクリックすると拡大写真が表示されます。
【金蔵山通信】3月14日現在の金蔵山古墳(県内第4位の前方後円墳)の様子です。墳丘は市教委による測量調査のため、下草と低木は大部分が伐採され墳丘がよく観察できます。墳長が165mの大型古墳なので迫力があり、学芸員も測量に手こずっている様子。ただ、墳丘に岩石が多く残っており、盛土でなく殆ど地山を成形して築造されているようです。大和の渋谷行燈山古墳(伝景行天皇陵)と同一規格の可能性があります。3月22日までは担当者が現地におられますので、ぜひ探訪してみて下さい。時間が許せば4月8日の例会で探訪してもいいかと・・・。2~3年後には60年ぶりに再発掘する予定ということです。
後円部2段目北西側























後円部斜面(東側)
























後円部頂から前方部を
























金蔵山古墳現地調査状況写真
                         


写真をクリックすると拡大写真が表示されます。
















































前方部頂
























後円部から前方を
























後円部頂
























陪塚か?

























弥生時代後期の墳丘墓と判明 美作・杉原古墳
                         3/30山陽新聞


 美作市杉原の杉原古墳が、県内でも珍しい石列のある弥生時代後期(100~200年ごろ)に造られた墳丘墓であることが同市教委の発掘調査で分かった。
 同古墳は、同所から同市真加部にかけての丘陵の尾根にあり、1辺が17~16メートルで、高さ約1・6メートルの方形墳。
 石列は、墳丘の中腹の地面に長さ40~50センチの石が地面に突き刺すように並べられ、その下段には同様の石が多数散らばっている。同市教委によると、墳丘の土が流れるのを防いだり、威厳を保つ装飾の役割を果たしたと思われる。
 2013年度に完成予定のごみ処理場の建設工事計画を受け、市教委が10年12月から3月中旬まで調査した。 28日に現地説明会が開かれ、市内外の考古学ファンら約100人が参加。同市教委の池田和雅主任が、棺が埋まっていた中央部は盗掘被害でくぼんでいることや、弥生時代の土器が多数見つかったことから、古墳時代よりも前の墳丘墓であることなどを説明した。

 

湊茶臼山古墳(岡山市湊)の調査続く
                          


 岡山市教委により昨年に続き調査が行われています。今年度は後円部墳端の確認と、後円部頂の埋葬主体のレーダー探査が行われます。12月には現地説明会も予定あり(日時未定)。

 

卑弥呼の時代語る - 東大寺山古墳の遺物一堂に
                          9/20読売新聞


 邪馬台国の女王・卑弥呼が中国から授かったとする説もある中国の年号が入った鉄刀など、東大寺山古墳(天理市櫟本町)の出土遺物が、22日から同市守目堂町の天理大学付属天理参考館で展示される。同古墳の遺物が一堂に公開されるのは35年ぶりで、発掘から半世紀を経て初めての里帰り展示。古代史の謎を解く鍵となる貴重な資料であり、注目を集めている。

 ▽卑弥呼の刀? 東大寺山古墳は全長約140メートルの前方後円墳で、4世紀中ごろの築造と推定。周辺を勢力地とした古代豪族・ワニ氏との関連性が指摘されている。 昭和36年から発掘調査が行われ、多数の鉄製武器類が出土。うち1本の刀(全長約1.1メートル)に中国・後漢の年号「中平」(184~190年)の文字が刀身に刻まれていた。倭国で卑弥呼が生きた時代と重なり、魏志倭人伝が記す中国皇帝から贈られた刀ではないかとする説もある。 発掘調査を担当した金関恕・天理大名誉教授(考古学)は「卑弥呼の時代の遺物で関連性も考えられる。ヤマト政権の成立期に国家を守る象徴として、武力を持つワニ氏に代々伝わったのでは」と推定する。

 ▽半世紀ぶり報告書 出土遺物は昭和47年に国の重要文化財に指定され、東京国立博物館が収蔵。その影響もあり、貴重な考古学成果を挙げた発掘調査だったにもかかわらず報告書が未刊行だった。 平成17年に天理大や天理参考館の研究者らが集まり、「東大寺山古墳研究会」を結成。文化庁の科学研究費補助金も得て出土遺物や記録の再調査を行い、今年3月、半世紀ぶりに報告書「東大寺山古墳の研究」(真陽社刊)を完成させた。 金関名誉教授は「大きな肩の荷を降ろした気分。東京国立博物館の好意や若い研究者たちの協力に感謝したい」と喜ぶ。

 ▽大量の副葬品 出土遺物は天理大学付属天理参考館の創立記念特別展「よみがえるヤマトの王墓〜東大寺山古墳と謎の鉄刀」(同館、東京国立博物館主催)で展示。中平銘鉄刀のほか、鉄製品や腕輪形石製品、玉類、埴輪など約600点の貴重な資料がそろう。 展示を担当する同館の藤原郁代学芸員は「これまで断片的だった情報を、まとめて公開することが意義深い。圧倒的な副葬品の数を実感してほしい」としている。
 11月23日まで。開館時間は午前9時半から午後4時半。火曜日休館(10月26日、11月23日を除く)。入館料大人400円、小・中学生200円。
  25日には金関名誉教授が「卑弥呼と東大寺山古墳」、10月16日には白石太一郎・大阪府立近つ飛鳥博物館長が「東大寺山古墳の被葬者像を探る」と題し記念講演。いずれも会場は同館西隣の陽気ホールで、午後1時から。受講には当日の入場券半券が必要。 祭祀に使われたとみられる。

 

纏向遺跡に桃の種2千個----3世紀、祭祀に使用?
                        9/17読売新聞


邪馬台国の有力候補地とされる奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡で、3世紀中頃の穴から桃の種約2000個や竹製のかご6点が出土したと、市教委が17日発表した。

 桃の種が1か所でこれほど大量に見つかる例はないという。桃は、古代の中国や日本で不老長寿などの効果があると信じられ、祭祀に使われたとみられる。

 桃の種は、昨年11月に出土し、邪馬台国の宮殿の可能性もあるとされた大型建物跡から約5メートル南の穴(南北4・3メートル、東西2・2メートル、深さ0・8メートル)で見つかった。大型建物を区画する柵跡を壊しており、建物の廃絶後に掘られたらしい。当時の桃はピンポン球ほどで、果肉が残ったものや未成熟のものもあることから、食用ではなく、かごなどに入れて供えたとみられる。


造山古墳で周濠と周堤跡初確認 大王墓級に匹敵、岡山大チーム発表
                        3/17山陽新聞


 全国第4位の巨大前方後円墳・造山(つくりやま)古墳(岡山市北区新庄下、国史跡)の周辺部を発掘調査している岡山大考古学研究室の新納(にいろ)泉教授らのチームは17日、墳丘を巡る周濠(しゅうごう)、周堤跡を初確認したと発表した。同古墳が、巨大な墳丘に外周施設を持つ、壮大な構造だったことになる。墳丘規模だけでなく、規格でも畿内の大王墓に匹敵した証しとなり、古墳時代社会の解明にも大きな影響を与える成果となる。

 造山古墳は5世紀前半の築造で、同チームの調査によると墳長約350メートル。古代吉備最大の盟主墳だが、調査は長く手つかずだった。新納教授らは2005―07年度に墳丘のデジタル測量を実施。09年度からは外周施設の確認のため、3年計画で発掘調査している。

 堤と濠跡は後円部の東約20メートルの試掘溝で出土。堤は山から運んだ土を盛って築かれ、現存で高さ35センチ、幅8メートル以上。堤と墳丘の間に広がる濠は推定幅約20メートルで、なだらかにくぼむ程度の浅い構造だったとみられる。

 同古墳に濠があったかどうかは、半世紀以上にわたり研究者の間でも見解が分かれてきたが、新納教授は「長年の論争に終止符を打つことになるだろう」という。


「巨大古墳の世界」造山などの巨大古墳保存議論
                         12/07読売新聞


 全国で4番目に大きいとされる造山(つくりやま)古墳(岡山市北区)を始め、大規模な古墳の保存、活用のあり方を話し合うシンポジウム「巨大古墳の世界」が6日、岡山大創立五十周年記念館で開かれた。同大学が今年3月に始めた同古墳の発掘調査や、大阪府堺市などに広がる百舌鳥・古市古墳群の世界遺産登録に向けた取り組みなどで、大規模古墳への関心が高まっているとされており、研究者ら4人が講演や討論でそれぞれの研究対象の魅力を語り、保存や活用の現状を報告。考古学ファンら約150人が聴き入った。

 造山古墳群を調査する新納泉・岡山大教授らが、大学の創立60周年を記念して開催。新納教授は、同古墳群の中の千足(せんぞく)古墳で今年10月、石室内の仕切り「石障(せきしょう)」に刻まれた装飾・直弧文(ちょっこもん)の一部が剥落(はくらく)していることが判明した経緯について講演した。

 この問題は、同古墳群の形状などのデータをデジタル保存するための実測作業の中で発覚。その後、新納教授は県立吉備路郷土館(総社市)にある石障のレプリカも合わせてデジタルで記録し、「出来る限りの情報量を確保する努力をしている」と述べた。

 また、堺市歴史文化都市推進室の白神典之主幹は、百舌鳥・古市古墳群の世界遺産登録を目指す活動を報告。白神氏は「住宅地に全国1~3位の規模の古墳がよく残った」と考えるが、世界遺産登録には、価値について国際的な評価が必要とされ、古市古墳群を横切る西名阪道の存在や、地域との合意形成など、課題が山積している現状を説明した。

 さらに、埼玉県平和資料館の関義則・学芸担当部長は同県行田市の埼玉(さきたま)古墳群について、宮崎県立西都原考古博物館の北郷泰道主幹は同県西都市の西都原(さいとばる)古墳群について、それぞれ公園として整備した経緯などを講演。埼玉では、壊れて一部が露出していた石室を生かして学習施設を造ったことなど、単なる復元にとどまらない多様な活用法も紹介された。

 討論では、造山古墳の石棺が熊本県・阿蘇山の溶結凝灰岩製であることなど、当時の吉備と九州との交流や、畿内、関東方面との関係などが話題に上った。



鍛冶炉跡6基出土 官営工房技術も確認 大規模に鉄器生産か
                     山陽新聞 H21/11/28



 全国の古代山城で唯一、鉄器にかかわる鍛冶(かじ)工房跡が確認されている鬼ノ城(国史跡、総社市奥坂)の発掘調査で28日までに、新たに計6基の鍛冶炉跡が出土した。当時の官営工房に通じる技術も確認され、必要とする鉄器を城内で供給できる大規模な生産体制を持っていた可能性が高まった。   

 岡山県古代吉備文化財センターが7月から、東門跡近くの谷部を発掘調査。9月初旬には鍛冶の際に出る鉄の不純物・鉄滓(てっさい)などが見つかり、谷部一帯に鍛冶工房ゾーンが広がるとみられていた。  

 鍛冶炉跡は、3カ所の調査区(計1350平方メートル)すべてから出土。地面に穴を掘り、内側に粘土を張った構造で、最大で直径30センチ、深さ8センチ。高温を受けて炉壁は赤く焼け締まり、一部には鉄滓が付着していた。伴った須恵器(すえき)からいずれも7世紀後半とみられる。  

 同センターは12月1〜7日、発掘調査を一般公開する。時間は午前10時半、午後2時の2回。同城第一展望台で当日受け付ける(5、6日は事前申し込みが必要)。問い合わせは同センター(086―293―3211)。


卑弥呼の宮殿か、奈良で建物跡 邪馬台国畿内説、後押し
                    山陽新聞 H21/11/11


 邪馬台国の有力候補地とされる奈良県桜井市の纒向遺跡で、3世紀前半としては国内最大の建物跡が見つかり、市教育委員会が10日、発表した。
女王卑弥呼(生年不明~248年ごろ)の時代と重なり、邪馬台国畿内説をとる専門家は「卑弥呼の宮殿ではないか」と指摘。畿内説を後押しする有力史料で、九州との間で続く所在地論争に大きな影響を与えそうだ。

市教委は、床面積約238平方メートルの高床式建物と推定。九州説の候補地の一つ、吉野ケ里遺跡(佐賀県)で出土した建物跡(約156平方メートル)をしのぐ規模。 確認された建物跡は南北19・2メートル、東西6・2メートル以上。柱穴はさらに西側に続いているとみられ、市教委は建築構造から東西12・4メートルとした。
 既に見つかっていた3棟と合わせ、計4棟が東西方向に一列に整然と並んでおり、石野博信兵庫県立考古博物館長(考古学)は「畿内説に立てば、卑弥呼の宮殿とみていいだろう。これほど計画的に配置された建物群は同時期に国内で例がない」と話している。



桜井茶臼山古墳:石室全面に赤色顔料「水銀朱」 奈良


 
一面に水銀朱が塗られた桜井茶臼山古墳の石室内と中央に横たわる木棺=奈良県桜井市外山で2009年9月24日、貝塚太一・代表撮影

初期ヤマト政権の大王墓の可能性が高い奈良県桜井市の前方後円墳、桜井茶臼山古墳(全長約200メートル、3世紀末~4世紀初め)の石室内に、古代中国で不老長寿の薬とされた赤色顔料「水銀朱」が全面に塗られていたことが分かった。22日発表した県立橿原考古学研究所は、水銀朱の使用量が国内の古墳で最大となる約200キロと推定しており、荘厳な葬送儀礼が行われたとみられる。  石室内の調査は1949年以来、60年ぶり。橿考研が今年8月から再調査していた。  石室は、板状の石を垂直に積んで壁を作り、その上に大型の石(最大1.5トン)を12枚乗せて天井にした。内部は全長6.75メートル、幅1.27メートル、高さ1.71メートル。石は見えるだけで1000個以上あり、すべて水銀朱が塗られていた。  中に納められていた木棺は底の部分だけが残っていた。傷みが激しく、保存処理のために取り出された












「箸墓古墳240~260年に築造」・・・歴民
卑弥呼死亡時期と一致
        読売新聞 H21/5/29





総社・宿寺山古墳で初の発掘調査
葺石、盛り土断面を確認
        山陽新聞 H21/03/12






造山古墳の周辺部発掘調査 葺石が多数出土
                     山陽新聞 H21/03/10



 全国第4位の巨大前方後円墳・造山古墳(国史跡、岡山市新庄下)の周辺部発掘調査で10日までに、墳丘から撤去されたとみられる多数の葺石(ふきいし)が出土した。同古墳は1582年、織田勢の備中高松城水攻めの際、毛利方の援軍が出城を築いたと伝わっており、調査を進める岡山大の新納(にいろ)泉教授(考古学)らのチームは、城の構築時に捨てた可能性があるとみている。

 葺石は墳丘斜面に敷き詰められた石で、後円部北側の調査区で見つかった。現在の地表から約1メートル下、中世に堆積(たいせき)したとみられる地層の上面で、東西3・4メートル、南北3・7メートルの範囲に集中。大きさは約30センチ角から、こぶし大までさまざま。葺石とともに埴輪(はにわ)片、室町時代の土器片約40点が出土している。

 岡山県史などによると、織田信長の命を受けた羽柴秀吉が、毛利方の武将・清水宗治の守る備中高松城を攻略。短期間で堤防を築き城を水攻めにした。救援に駆けつけた毛利勢が、足守川西岸一帯に陣を構え、織田勢と対峙(たいじ)したとされる。

 新納教授らが2005―07年度に行った同古墳のデジタル測量でも、今回の調査区に近い後円部に、曲輪(くるわ)を築いたとみられる跡を確認している。新納教授は「築城時に邪魔になった葺石を投棄したのだろう。備中高松城の戦いに伴うとは断言できないが、造山古墳に山城が築かれた過程を知る手掛かりになる」と話している。

 今回の調査は、墳丘を巡る濠(ほり)の有無や築造年代を確定する遺物の発見が主な目的で、今月末まで行われる。




造山古墳の発掘調査スタート
岡山大チーム 築造年代確認へ
    山陽新聞 H21/03/01


全国第4位の巨大前方後円墳・造山古墳(岡山市新庄下、国史跡)で1日、岡山大の新納(にいろ)泉教授(考古学)らの研究チームによる墳丘周辺部の発掘調査が始まった。墳丘を巡る濠(ほり)の有無や、築造年代を確定する遺物の発見が主な目的。古代吉備のシンボルといえる同古墳に初めて発掘のメスが入ることで、吉備の王の実体解明につながると注目される。

 調査は3―4年計画で、今回の第1次調査は31日までの1カ月間。墳丘に最も接近できる前方部西側と、墳丘の中心線(主軸)に沿った後円部北側の2カ所に計約80平方メートルの調査区域を設けた。

 初日は同大の学生ら20数人が参加し、GPS(衛星利用測位システム)を用いた測量機器などで調査区域を決定。学生らは基点となるくいを慎重に打ち込み、2日目以降の本格的な調査に備えた。

 新納教授は「造山古墳に周濠(しゅうごう)が伴うかは研究者間で意見が分かれている。確認できれば、被葬者は畿内の大王と非常に近い立場にあった証拠となるため成果に期待している」と話している。




昨年3月のバスツアー馬見稜公園の巣山古墳発掘調査新聞記事 奈良新聞 H21/01/08




巣山古墳全景




造山古墳の発掘調査に来春着手、岡大チーム、周辺施設確認なるか 山陽新聞 2008/12/19


  
 古代吉備最大の巨大前方後円墳についに発掘のメス―。岡山大の新納泉教授(考古学)らの研究チームが、全国第4位の規模を誇る岡山市新庄下、造山古墳(国史跡)で来春から、濠(ほり)などの周辺施設を確認するための発掘調査に着手することになり、18日、予備調査を行った。調査地は墳丘外だが、発掘可能な全国最大の古墳だけに考古学上画期的な調査といえ、学界や考古ファンの注目と期待を集めそうだ。
 造山古墳は墳形や採集された埴輪(はにわ)などから5世紀前半の築造、全長は約360メートルとされる。大阪・大山(だいせん)古墳(伝仁徳陵)をはじめ、造山古墳を上回る畿内の巨大古墳がいずれも宮内庁が管轄する陵墓で、立ち入りさえできず、同古墳は古代吉備だけでなく、古墳時代社会の解明の鍵を握るとみられている。
 長く学術調査は手つかずだったが、新納教授らは2005―07年度、GPS(衛星利用測位システム)を用いたデジタル測量を行い、同古墳の調査に着手。基礎データとして精細な墳丘測量図を完成させ、文部科学省の科学研究費補助金を受けいよいよ発掘調査に進むことになった。




平成20年1月例会で探訪した三石の四列穴門が県の土木遺産に指定されました。山陽新聞2008.12.9記事抜粋紹介します。



県内ではこれまで、京橋(岡山市)、東西用水酒津樋門(倉敷市)、児島湾干拓施設群(岡山、玉野市)が認定されている。

1月例会時の写真
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